メンバー紹介

かつて安芸の国を舞台に、戦国の世を熱く生き抜いた武士(もののふ)たち―450年の時空を超えて現代に甦る「安芸ひろしま武将隊」。

毛利元就

毛利元就

生 年:明応六年(1497年)
本拠地:吉田郡山城(安芸高田市)
毛利家第12代当主。戦国最高の知将、稀代の策略家と評される。幼少期は困窮した生活を強いられ「乞食若殿」と呼ばれていた。安芸の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大、中国地方の覇者となる。

毛利隆元

毛利隆元

生 年:大永三年(1523年)
本拠地:吉田郡山城(安芸高田市)
毛利家長男。控えめな性格ゆえ、偉大過ぎる父、武勇に優れた弟たちの狭間で苦悩する。しかしながら優れた内政手腕によって父を陰ながら支え続け、毛利家による中国地方支配を正当かつ盤石なものとした。

毛利輝元

毛利輝元

生 年:天文二十二年(1553年)
本拠地:広島城(広島市)
広島城初代城主。亡き父・隆元の後を継ぎ、わずか11歳で毛利家当主となる。対立していた織田信長の死後は、豊臣秀吉に臣従。五大老のひとりとなり、広島城を築城、城下町広島の町づくりを行う。天下分け目の関ヶ原の戦いにおいては西軍総大将となる。

吉川元春

毛利隆元

生 年:享禄三年(1530年)
本拠地:小倉山城(北広島町大朝)
→日野山城(北広島町新庄)
毛利家次男。吉川家に養子に出され、吉川家当主となる。毛利両川の一翼として、主に山陰地方の司令官として政治・軍事面で活躍。父・元就をしてその勇猛ぶりは、「我は戦では元春には及ばぬ」と言わしめた。生涯76戦64勝無敗。織田信長とも幾度か戦を交え、撃破している。

小早川隆景

小早川隆景

生 年:天文二年(1533年)
本拠地:新高山城(三原市本郷町)→三原城(三原市)
毛利家三男。小早川家に養子に出され、小早川家当主となる。毛利両川の一翼として、主に政務・外交面を担当。毛利水軍の指揮官としても活躍する。秀吉からは「日ノ本の国は西方は小早川隆景に東方は徳川家康に任せれば安泰」と評された。

毛利元就に仕えた忍び衆。謀略と奸計を駆使し、謀神と呼ばれた元就の調略戦を陰で担う重要な働きをした。いわば毛利家の影の軍団。